武田軍も鉄砲は大量に持っていた
「技術が社会に受け入れられていくプロセスには、一定の共通原理が存在します。過去に人々や社会がどのような価値を見出して新技術を受容してきたのかを読み解くことです。そうした視点で歴史を整理すると、技術トレンドの背後にある必然性が見え、未来もまた現実に地続きのものとして捉えられるようになります」
経産省時代、政策担当官としてデジタル分野の「技術発展の可能性を分析し、整理する」仕事を担ってきた和泉氏。その経験を土台に、「新技術(AI)の進化は、企業の競争力にどう影響するのか」というテーマを掲げた。そして、この問いを解きほぐすために持ち出したのが、経営者にも身近な「長篠の戦い」だった。
長篠の戦いは、ふつう「新兵器の鉄砲をいち早く取り入れた織田信長が、旧来型の騎馬隊にこだわる武田勝頼を破った戦い」と語られる。だが和泉氏は、史実を丹念に読み解くと、まったく違う面が見えてくると指摘する。そもそも、武田軍は裕福で、鉄砲を早々に輸入し、織田軍に劣らないほど研究していた。そして、自軍最強の騎馬戦術「風林火山」に新兵器をどう組み込むか、相当に研究していたようである、と。
しかし、武田軍は鉄砲を戦いの主役には据えなかったのである。当時の火縄銃は、武器としての成熟度は低く、雨に弱かったり、一度撃つと次の弾を込めるまでに時間がかかったりしたからだ。
「これでは実戦で使えない。やはり、従来の戦術、すなわち、最強騎馬隊を走らせたり、槍で突いたりしたほうが確実に勝てる」
この判断が武田軍の「敗因」となってしまう。ここで和泉氏が強調するのは、武田軍は最新兵器の鉄砲を「持っていなかった」わけではない、という一点だ。むしろ手に入れていたにもかかわらず、負けてしまったのは、鉄砲を「これまでのやり方を補助する道具」としか位置付けられず、戦い方の前提そのものを変えられなかったからだという。
勝ちパターンへの絶対の自信は、新技術が前提となった戦線ではかえって足かせになる。しかし、武田軍が兵士に課していたのは武術や馬術の向上という「既存プロセスの強化」だった。
対する織田信長は、鉄砲を見た瞬間に戦略・戦術の発想を切り替えたという。「これまでの戦い方にこだわっていては勝てない。鉄砲は、戦い方の前提そのものを、根本から変えてしまう」。和泉氏は、信長の思考をこう語る。そこから生まれた戦法が、有名な「三段撃ち」だ。
発射間隔が長いなら、兵を3列に並べて交代で撃つ。火力が低いなら、横に1,000丁を並べる。騎馬の突撃には、馬防柵と地形選びで備える。これらは、戦術全体を鉄砲中心に組み直した戦略だったと和泉氏は説明する。行き着く先は、特別な技量がなくても数の力で戦える体制、いわば戦力全体を「底上げする」発想だ。
専門的な技能を持ち合わせない農民を大量に前線へ導入し、圧倒的な兵力をそろえられたことが、のちの天下統一への足がかりになった、というわけだ。武田と織田を分けたのは、鉄砲を「持っていたかどうか」ではなく、それを前提に戦い方と組織のありようをまるごと「組み直したかどうか」だった。和泉氏は、この一点を強調した。
「既存業務のままChatGPT」は武田の騎馬隊止まりの発想
この歴史の教訓は、現代のAI導入にもそっくり当てはまる、と和泉氏は説く。多くの企業は、いままでの業務プロセスという「自社の風林火山」に、AIという鉄砲を補助的に組み込む発想から抜け出せていない。
「AIを使って、これまでの資料作成業務が5分短縮できた。英語のメール返信が少し早くなった。そうした局所的な効率化ばかりに注目しているのです」
和泉氏は、この対比を現代の企業にそのまま重ねる。武田軍にあたるのは「既存業務のままChatGPTを使う企業」、織田軍にあたるのは「AIエージェントを前提に組織構造を再設計する企業」だ。ここでも問われるのは、まったく同じ一点である。
勝敗を分けるのは、AIという新技術を使っているかどうかではない。その技術に、組織とビジネスがどれだけ適応できるか。この「組織構造の適応度」こそ、講演全体を貫くメッセージだった。AI導入の成否は「導入したかどうか」ではなく、「AIを前提に組織とビジネスを組み直したか」で決まる。
「不要な業務は思い切ってやめ、AIを前提にした新しい戦略・戦術を組み立てる。ここに、AI時代における企業の勝敗の分かれ目があります」と和泉氏は言い切った。
