製造現場に蓄積された熟達技術者の「暗黙知」を、AIエージェントによって形式知化・継承・進化させる取り組みが本格化している。産業機械メーカーの荏原製作所は2026年3月16日、「知識駆動型DXプロジェクト」を発表した。
同プロジェクトは設計開発支援システム「EBARA 開発ナビ」とAIエージェント基盤「Ebara Brain」を融合させたものだ。加えて、この取り組みを産業界全体へ広げるため、一般社団法人 匠和会が設立された。同日に行われた記者向け説明会では、匠和会の代表理事を務める慶応義塾大学 教授の栗原聡氏、荏原製作所 知識駆動型DXプロジェクトのプロジェクトマネージャーである王宇坤氏らが詳細を語った。

AIで暗黙知の抽出へ
暗黙知の形式知化として、現場へのヒアリングといった取り組みが行われている。しかし、栗原氏は「言葉のやり取りができるのは顕在知。つまり、ヒアリングのみでは熟練の知の全貌を取り出すことがそもそもできない」と指摘する。これに対して、同氏らは「(1)センシング」「(2)因果推論」の2つのアプローチで暗黙知の抽出を目指すという。
(1)センシング
- 身体動作のセンシングによる潜在意識の可視化
- 「背中を見て学ぶ」の実践。行為の意味を解釈する
(2)因果推論
- 潜在意識の知識からの因果関係の抽出
- センシングで可視化された潜在意識からの因果関係の抽出
- 上記2つの統合によって、熟練の行動の本質的な意味を解明
同氏は、現在のAIであれば因果関係の推論や仮説が高いレベルで行えると考えている。「匠和会は、こうした因果関係を抽出するAIを、2029年を目標に開発したい」とした。
デジタルツインに“知識空間”を加える
荏原製作所が掲げるのは、「データドリブン」「AIドリブン」のさらに先にある「ナレッジドリブン」という発想だ。データを蓄積するだけでは、製造現場の真の競争力である「なぜその判断を下したか(Why)」「どう考えたか(How)」「何に配慮したか(Constraints)」が抜け落ちる。「この3つの欠如こそが、従来の企業内データの限界だ」と王宇坤氏は話す。
この課題を解決するために、同社は「デジタルトリプレット」の概念を採用した。従来の「物理空間」と「デジタル空間」の二層構造(デジタルツイン)に加え、第三の層として「知識空間」を設ける。これにより、熟達技術者のノウハウや現場の暗黙知をデジタル空間につなげ、AIが自律的に知識を推論・継承できるという。
具体的なシステムとしては、設計・開発の思考プロセスを構造化して知識を可視化する「EBARA 開発ナビ」と、オンプレミス環境で動作する自律分散型AIエージェント群「Ebara Brain」が核を担う。Ebara Brainは形式知化エージェント、ヒアリングエージェント、エキスパートエージェント、パーソナルエージェントの四種で構成され、知識の抽出から推論・継承まで一貫して担う。
既に、マンションや商業施設に広く使われる給水ユニットを対象にしたPoCを実施し、具体的な成果を上げている。まず、人間が時間をかけて整理した設計プロセスの85%を、形式知化エージェントで自動生成できることが確認された。また、設計諸元間の関係性予測においても83%の精度を達成している。さらに、暗黙知の形式知化にかかっていた工数を75%削減することにも成功した。加えて、再設計率の低下や設計文献の特定精度90%を達成。検索・調査工数は5分の1へ短縮されている。
こうした荏原製作所が社内で培った知識駆動型DXのアプローチを、匠和会は中小製造業を含む産業全体へ波及させていくという。具体的には、前出の因果推論エンジンの研究開発や、複数業種の現場データを横断的に活用することで、単一企業では到達できない知識の深化を目指すとしている。
なお、荏原製作所は今後、2026年中の全社横断展開を皮切りに、2027年の他社知識基盤との外部連携、2028年の事業化・収益化という段階的なロードマップを描いている。知識のNFT化や知財の標準化戦略も視野に入れており、王氏は「日本の製造業の国際競争力を高める」と語った。
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