個人の生の声・組織の価値観を使う時代 定性データが差を生む
ドイツ・ベルリンの研究機関で、「機械が人間の行動、社会をどう変えるのか」をテーマに研究を行っている矢倉氏。米AI企業であるAnthropicのフェローも務める人物だ。過去に、テクノロジーによる企業の部課長育成に取り組んでいたものの、当時は技術の限界を感じていたという。
人事・組織マネジメントにおけるAI活用は、既に長年の取り組みがある。しかし、その多くは「ピープルアナリティクス」として、過去のデータに基づいた分析にとどまっていた。このデータ自体の性質が大きなハードルとなっていたのだ。
「人事データというと、アンケートの結果や属性情報といった構造化されたデータが主です。実は非常に重要な『その人自身の意図』『組織の中での文脈』などは、そもそもデータとして取っていないのです」(矢倉氏)
従来の分析で、アンケートや適性検査のスコアから「どのような人の離職率が高いか」といった傾向は分かる。一方で、背景情報がないために「離職率が高いのはなぜか」「どう対策すればいいのか」までの深掘りは難しいのが現実だ。この長年のフラストレーションを解決するきっかけを与えたのが、生成AIの登場である。
従来のAI技術でも、たとえば画像や音声の分析は可能だった。その上で、大規模言語モデル(LLM)や対話型AIがさらに一歩踏み込んだ。矢倉氏は「個人の生の声や組織内の価値観といった非定型データにもとづいて、物事を判断できるようになってきた」と話す。
生成AIは、言葉の裏にある意味や文脈を理解しながら、AIエージェントとしてデータを能動的に探しに行ったり、社員と会話をしながらさらに非定型データを集めたりできる。これにより、過去データが蓄積されていない組織であっても、AIエージェントが自動的にデータを収集し、その企業の状況に合わせた示唆を抽出することが可能だ。この技術的な進歩は、人事領域に次のような新しい活用法をもたらす。
組織課題と変革の可視化
経営理念が各部署の社員にどれだけ浸透し、どのように解釈されているかを「生の言葉」から把握し、変革を阻害するボトルネックを特定する
個人の成長ポテンシャルの理解
非定型データからその組織ならではの行動や言葉を理解する。過去の適性検査ではなく、その組織での行動履歴から若手の成長を予測し、再現性のある采配が可能となる。
採用・配属の超解像度化・精緻化
生成AIが非定型データを引き出し、求める人材の言語化を助ける。これにより、マッチする人材を探すことが可能。従来なら失敗のリスクを心配していた選択も後押しできる。
とはいえ、単なるデータ分析や予測の進化で終わってしまっては、AI時代の人事戦略は本質的な変革を達成できない。矢倉氏が考えるその一歩先、つまり意思決定から不確実性を排除するのが、人間をデジタル上に再現する「Human Digital Twin(ヒューマン・デジタルツイン)」の活用だという。この壮大にも思えるアプローチが、長年解決できなかった経営判断の「どうなるかわからない」という不安を、いかにして確信に変えるのか。 矢倉氏がその可能性を示す。
