AXの本質は「AI導入」ではなく、顧客から学び続ける組織への変革
「AIの導入が目的になり、働き方や意思決定は変わらない」「部門ごとにバラバラに進み、全社につながらない」「承認・予算・評価の制度が従来のままで、スピードについていけない」。講演の冒頭、岩野氏はAX推進の現場でよく聞かれる悩みを次々と挙げた。
AIを導入してAXが進む組織と、止まる組織。何が違うのか、何が必要なのか。この問いに実践知から答えていくのが本セッションである。

Mutureは、小売とフィンテックを基盤に「共創経営」へ挑戦する丸井グループと、デザインの力で企業変革に取り組むグッドパッチが設立したジョイントベンチャーだ。
丸井グループのDX基盤となる事業・組織づくりに深く入り込みながら、「変化に強い組織と、変化にやさしい社会をつくる」ことを掲げる。変革の現場で培った実践知を一社に閉じず、日本中の大企業に広げることを目指しているという。
岩野氏はまず、そもそも大企業におけるAXとは何かを確認するところから話を始めた。
株式会社Muture Project Manager 岩野大地氏
政府の「人工知能基本計画」(2025年12月閣議決定)では、AXは「AIを活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と定義されている。
つまりAXの目的は、AIの導入や効率化だけではない。顧客や社会のニーズを起点に、事業と組織が変わり続けていくことである。
ただし、ここに難しさがある。変革の起点となる顧客価値は、事前には分からないのだ。
「顧客に仮説を当て、事実から判断を更新していく。その繰り返しによって、事業と組織が市場に適応し続けられる。これが顧客価値を起点としたAXの核心です」(岩野氏)
AIの「つくる力」を「学ぶ力」へ転換し、学びの循環を組織に巡らせる
では、その状態を組織としてどう実現するのか。岩野氏が示したのが「学びの循環」という全体像だ。現場の各チームが顧客との接点で価値探索や仮説検証を行う。そこで得られた学びが経営層に届き、経営が権限・予算・評価・体制といった組織変革と、顧客・提供価値・収益構造といった事業変革を判断する。
岩野氏はこれを「経営が、現場という手足の感覚を取り戻していくイメージ」と表現した。顧客から学ぶ力が、組織全体で活性化している状態である。
そして、このサイクルをブーストするのがAIだ。
「AIは、仮説を確かめられる状態にするスピードとコストを大幅に下げてくれます。AIの『つくる力』を『学ぶ力』に接続し、そのサイクルを組織全体に広げていくことこそが、AXの目指す姿です」(岩野氏)
ところが、大企業のAXを支援する中で、この本質である学びを止めてしまう課題が見えてきたという。なぜ、大企業の中で学びが止まるのか。講演はここから本題に入っていく。
学びが「巡らない」原因は、思考と実行を分断する縦の壁・横の壁
大企業の変革を実践する中で、Mutureは学びの循環が三つの場所で詰まることを見いだした。
一つ目は、現場の学びが経営まで届かず「学びが巡らない」詰まり。二つ目は、従来の仕事の型によって現場と顧客の接点で「学びが得られない」詰まり。三つ目は、一部の人が学んでも組織全体に届かず「学びが広がらない」詰まりである。
一つ目の「巡らない」から見ていこう。岩野氏がまず紹介したのは、変革の現場で実際に聞いた声だ。
岩野氏は、こうした状況は個人の力不足の問題ではなく、「何をすべきか分からない」状態の中で構造や社内政治への最適化を強いる、組織構造が生んでいる問題だと強調した。
では、その構造とは何か。大企業の組織は、経営層が経営計画の達成に向けて予算と権限を統制し、現場は専門性ごとの分業で効率を追求する。計画された仕事を効率よく実行するには適した構造だが、学習サイクルを前提としていないため、価値探索や仮説検証には向かない。
この構造は二つの壁を生む。一つは、経営から現場までの階層構造がつくる「縦の壁」だ。上りでは、現場の学びが階層を登るたびに要約され、経営には最終的に「順調です」としか伝わらない。下りでは、権限とお金が決裁・予算・評価といった大きな単位でしか降りてこず、前提や判断理由が失われる。
もう一つは、効率化重視の分業がつくる「横の壁」。企画・体験設計・要件定義・開発が部門ごとに分かれ、一つの顧客体験が別々の責任と基準で輪切りにされる。仮説を立てる人と顧客の事実に触れる人が分かれ、仮説から学びまでを丸ごと担える主体が不在になるのだ。
学びが「得られない」原因は、課題より先に解決策が決まる仕事の型
二つ目は「学びが得られない」詰まりだ。従来の大企業の仕事は、課題が決まっている前提で解決策を実行する型に最適化されてきた。設計図を作り、部品を発注して組み立てるウォーターフォール型である。
成果物を計画どおり届けることには強い一方、途中での仕様変更は難しい。そして、成果物ができることと、価値が提供できることは別物だ。課題の特定より先に解決策が決まっていると、顧客からの学びを価値に反映できない。
転換の必要性は、現場も経営層も分かっている。だが現場からは「顧客インタビューをしても『なんとなく良さそう』で終わってしまう。初期フェーズからのやり方を知っている人が社内にいない」という声が上がる。
経営層からも「現場を支援したいが、何をどうしたらいいか分からない。研修に投資しても効果が見えづらい」という声を聞くという。分かっているけれど、どうしたらいいか分からない。これがあらゆる大企業の実情だ。
学びが「広がらない」原因は、個人任せのAI活用と知見の分断
三つ目は「学びが広がらない」詰まりである。AIの導入自体は多くの企業で進んでいる。しかし、導入しただけで使い方は個人に委ねられ、誰に聞けばいいか分からない、日常業務にどう活かせばいいかも分からないまま、個人の試行錯誤に終始してしまう。
うまく使いこなしているチームや人の知見は共有されず、組織に蓄積されないまま、使える人と使えない人の格差だけが広がっていく。
学びが巡らない、得られない、広がらない。この三つの詰まりが、大企業のAXが止まる構造だと岩野氏はまとめた。
では、どう動かすのか。ここからは稲葉氏が、Mutureの実践論を三つのアプローチで紹介した。
株式会社Muture Product Designer 稲葉崇氏
アプローチ1:現場に入り込み「学びの巡る道」を通す伴走支援
一つ目のアプローチは、組織に学びを巡らせる伴走支援だ。Mutureは支援先のプロジェクトチームの中に入り、同じチームの一員として一緒に手を動かすスタイルで組織変革に取り組んできた。基本の流れは以下の4ステップである。
- 既存組織のシステムエラーを捉える
- 積み上げられた文化・歴史を捉える
- 新たな問いを立てて対話する
- 理想を体現するパイロットプロジェクトを実施する
出発点となるステップ1は、既存組織のシステムエラーを捉えることだ。学びを止める縦の壁や横の壁は、多くの場合、その会社の成功を築いてきた正しい型として機能しており、それぞれの階層や部門の中では正しいルールに見えている。だからこそMutureは「半分外の人、半分中の人」の目で現場に入り込み、こうした見えにくいエラーを捉えることから始める。
ステップ2は、積み上げられた文化・歴史を捉えること。エラーが見えても、いきなりルールを否定したり、やり方を変えたりはしない。ポイントは、壁を悪者にしないことだ。組織に根付いた文化や歴史は、むしろ変革の取っ掛かりとなる強みとして活かすのだという。
ステップ3は、新たな問いを立てて対話すること。組織変革には関係者の当事者意識が欠かせない。部署や役職を越えた対話を通じて、それぞれの立場から理想の姿を言葉にしていくことが、足並みを揃えて前に進むための土台になる。
そしてステップ4で、対話から生まれた理想を体現するパイロットプロジェクトを、まず小さく試す。ここでは、横の壁を越えて企画する人と顧客に触れる人を一つに、縦の壁を越えて考える人と作業する人を一つにする、部門横断チームを立ち上げる。
このチームには、顧客から学びを得るために価値探索・仮説検証を回しきるケイパビリティが求められる。それには企画・デザイン・エンジニアリングの職能が必要になるため、初期は外部の専門家を混ぜて始め、回しながら内製に移していく。その裏側では、企画承認と開発承認を分割して探索のための予算を確保するなど、予算と権限も動かしていく。
「大事なのは、予算が尽きる前に目に見える小さな実績を作ることです。立派な価値提供を目指すというより、小さくてもいいのでいかに価値提供をするか。狙いどおりの成果を積み上げられれば、それが継続的な探索予算の確保につながります」(稲葉氏)
こうして現場の一つのチームと経営の間に、学びの巡る道がまず一本つながる。
アプローチ2:「仮説を立て、事実に当て、次を決める」力を鍛える研修プログラム
ただ、道ができても、そこを流れる学びが現場で生まれなければ意味がない。そこで二つ目のアプローチとなるのが、現場が学ぶ力を得る研修プログラムだ。
稲葉氏によれば、顧客から学びを得る力とは「仮説を立て、事実に当て、次を決める」一連の判断力である。その手段となるリサーチには、事実から解くべき課題を明らかにする探索的リサーチと、仮説の解決策が効くかを事実で確かめる検証的リサーチの2種類があり、自分たちが顧客の何をまだ知らないのかによって使い分ける。
現場が顧客から学びを得るために必要なのは、手法の知識をインストールすることではなく、実際に課題を扱って判断してみる経験だ。そこで、Mutureのアプローチとしては、伴走支援による実案件のサポートのほか、2日間の座学とワーク、その間の2週間のリサーチで構成されるPBL(課題解決型学習)形式の研修パッケージを提供する。
参加者自身が持ち込んだ企画を「誰の、どんな課題を、どう解決したいか」という設計まで落とし込み、成果物の企画はそのまま社内新規事業コンテストにエントリーする。学びを研修だけに閉じない設計である。
「仮説を立て、事実に当て、次を決める」という、顧客から学びを得る力があれば、現場では、価値探索や仮説検証のサイクルを回すことができるようになる。これにより、組織の中に開通した道を、現場で得られた学びが循環する。
アプローチ3:学びを全社員の日常業務へ広げる実践型ツールキット
伴走支援と研修は、人から人へ伝えるやり方であるため、規模に限界がある。Mutureがこれまで関わってきたのは、伴走で延べ100名超、研修で延べ300名超。合わせても400名程度だ。
「私たちが本当に届けたい先は、数千人、数万人という単位。大企業のグループ全社員の日常業務へと届けたいと考えています」(稲葉氏)
このギャップを埋める三つ目のアプローチが、新たに始める実践型ツールキットだ。人が担ってきた支援や研修の役割をツールに落とし込み、隣に人がいなくても学びの実践ができるようにする。
構成要素は三つ。一つ目の「プレイブック」は、専門家の段取りと観点を手順化したもので、迷ったときに立ち返る基準となる。二つ目の「ワークスペース」は、作業の記録・進行・成果物を一元管理し、実践の記録がそのまま組織の資産となる。そして、三つ目の「AIエージェント」は、判断の観点を返す壁打ち相手となる。
研修やツールキットによって実現したい世界は、現場でも少しずつ形になり始めている。非エンジニアのベテラン社員が、仮説検証に使う機能の実装をAIに依頼している例や、若手社員が、プロダクトバックログにある検証項目の整理をAIに任せるなどの例が現実に起こっている。
いずれのAI活用事例も「現場が顧客から学ぶこと」を目指して、「作る・調べる・整理する」といった作業を高速化している例だ。稲葉氏は「AIの作業の速さが、顧客から学ぶ活動の速さにつながり、学習サイクルを加速させています」と説明し、AIの「つくる力」が顧客から学ぶ価値探索・仮説検証を高速化かつ拡大にすることで、組織全体の学びの循環をより速く、大きなものにできると強調した。
最後に稲葉氏は、大企業の組織変革の知見をまとめた「大企業組織変革支援のレシピ」を無料公開していることと、プロジェクトの詰まりを構造的に見立てる「組織デザイン構造診断」「ステークホルダー構造診断」という二つのワークショップを紹介し、「変革は一社で完結するものではなく、多くの人や組織の挑戦がつながってこそ加速すると考えています」と語り、講演を締めくくった。
AI導入後に停滞感を抱えている組織にとって、学びの循環という補助線と、伴走・研修・ツールキットという三つの処方箋は、自社の詰まりがどこにあるのかを見立てる出発点になるはずだ。
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