なぜ全社を巻き込めたのか? まず押さえるべきAXの理想像
「デザイン×AI」を掲げ、企業変革を支援しているグッドパッチ。その背景にあるのが、自社の「AX」から得たノウハウだ。
そもそもAXとは何か。どのような状態であれば、「AXが達成された」といえるのか。そんな疑問を抱く人もいるだろう。実際に同社のAXを推進する石井氏は、「企業活動、プロダクト、ビジネスモデルにAIを組み込み、プロセスやマインドセットを抜本的に変革する取り組みだ」と定義付ける。
その実現を目指して同社が立ち上げた組織が、全社的な変革を推し進める「Goodpatch AI Experience Studio(Gp-AX)」だ。約300名規模の全社を巻き込んだ大がかりな施策をいくつも走らせてきた。しかし、すべてがスムーズに進んだわけではない。取り組みの中で、AIを扱える社員が増えることとAIによって組織が変わることは別物であると気づいたという。
「当然、AIユーザーを増やすことは重要ですが、業務効率が上がると同時にトークンコストも増大する新たな課題が生まれます。結果的に、利益が下がる状況に陥りかねません」
この課題をどう乗り越えるかが、本セッションの本題だ。そのスタートラインとして、石井氏はAXが達成された状態を4つの観点で整理した。
- AIが一部の人ではなく、組織全体で使われていること
- 業務プロセスと意思決定が、AIを前提に再設計されていること
- AIが継続的に事業成果を生み出していること
- AIを試行・改善し続ける文化・姿勢が組織に根づいていること
つまり、人・AI間で「委任の設計」ができているかどうかが問われる。AIに任せる範囲の線引き、トラブルが発生した場合の止め方・戻し方、そこからAIが学習する手順……。これらの仕組みを構築し、自然と運用できる組織へと進化しなければならない。その具体的な手段として、石井氏は次の3つを挙げる。
- ガードレールの用意:リスクを抑えながら活用を広げる
- 使う:AIを活用できる人を増やす
- 組み込む:AIを組織の業務に実装する
ここからは、これら3つの順番に沿って同社の実践を見ていこう。
AIを“使いながら”環境を整える 安全に同時進行する方法
新しいAIツールを使いたいと現場が声を上げても、多くの場合はガイドラインやセキュリティの整備が追いつかず、結局は待たされる。これに対して、Gp-AXが行ったのが「従業員がAIを素早く安全に使うための環境整備」と「AI利用の積極的な推進・浸透施策」の大きく2つだ。
前者における具体的な取り組みは、全社的なAI基盤の構築、方針の策定などと、決して目新しいものではない。しかし、すべてを整えるには多様なパターンを想定する必要があり、手こずるケースはよくある。それに対してグッドパッチでは、社員のAI活用を許容しながらルール整備をしていった。
それができた大きな理由は、Gp-AXに情報システム担当者も参加していたこと。担当者が自ら手を動かし、現場の課題やニーズを直接拾い上げながら、知見をガイドライン、申請フロー、ホワイトリストなどの作成に反映できたのだ。
「もちろん、最初から完璧なルールが作れていたわけではありません。日々変化するAIツールの動向、社内の利用実態にあわせて何度もアップデートし、AIを安全に活用できる環境を維持してきました」
AIツールの利用申請フローにも、その姿勢がよく表れている。一般的には、メンバーが上司に申請し、部門長、情報システム部門、法務部門……と承認に時間がかかるが、グッドパッチはこの順番を大胆に組み替えた。ミドルマネジメント層を経由せず、最初に管掌役員や事業責任者に承認が上がる仕組みに。前例がないAIツールでも、責任者が事業に必要だと判断すればルールを更新できる。
とはいえ、あらゆる申請が役員や事業責任者に集中すると停滞が起こってしまう。その解決策として、同社ではホワイトリストの中でも「申請なしで使えるもの」「承認は必要だが安全性を確認済みのもの」「まだ管理下にない新しいもの」とレベル分けをしている。
「社員なら誰でも、利用実績のない新しいAIツールの申請が可能です。それによって、社内のニーズを把握しながらホワイトリストのアップデートができるサイクルが出来上がっています」
事業部全員がClaude Codeでアプリ開発 実現に貢献した“ある仕組み”
次に、「使う」をどう実践するか。石井氏がまず示したのは、グッドパッチ内での定量的な成果だ。2026年3月の1ヵ月間で「Claude Codeを使ってアプリを作った社員数」は185人、「生まれたアプリの数」は217個、「社内に共有されたナレッジ記事数」は295件にのぼる。300名規模、かつ社員の大半が非エンジニアの組織においては、大きな数字といって良いだろう。
きっかけは、「Claude Code大号令(CC令)」という取り組みだ。事業部のメンバー全員を対象に、3月中にClaude Codeでアプリを1つ作り、サーバーへのデプロイまで行うことを必須とした。結果的に、ドメイン知識を持つ人自身の「課題解決能力の向上」、単に作れることが価値ではないという「意識の変化」、非エンジニアによる「AI開発のハードル解消」といった成果が得られたという。
一方で、日々のタスクに加えて新しい取り組みを始めることは容易ではない。この壁を乗り越えるためにまず効果的だった施策が「トップダウンによる号令」だという。
「ミドルマネジメント層を挟むと、経営層の意図がどうしても伝わりづらくなります。施策は理解できても、それを行う理由や背景にある危機感は薄まってしまうのです。現場の心理的な壁を突破するために、トップ自身による意思表示は非常に重要でした」
その上で、AI開発の環境整備が欠かせない。CC令では、開発環境のハンズオン研修から、クラウド上に安全にデプロイする手順・スキルを用意した。さらに、ナレッジを共有し、管理・可視化できる環境も整備。個人の実行状況を自動的にモニタリングできる仕組みをトップ自身が構築し、各マネージャーとも連携して全員でやり切れるよう主導した。
「AIリテラシーとは、単なるAIツールの知識ではありません。AIに何ができて何ができないのかを、社員が自らの業務と紐づけて想像できることが重要です。そのためには研修を聞くだけでは不十分。実際に手を動かして試行錯誤し、振り返る体験が必ず必要となります」
PoC止まりから脱し、実装へ 鍵を握るのは各組織のトップ
ガードレールが整い、社員が高度なAI活用ができる状態になっても、実際の業務にAIを実装しなければPoCで終わってしまう。そこで石井氏は「業務そのものへのAIの『組み込み』こそが本番」と位置付ける。そして、グッドパッチ内での実践から「圧倒的にトップダウンで進めるべきだ」と強調した。しかし、経営層が号令を出すこととは異なるという。
「組織は上位層の意思が反映されていくもの。各組織長が、自分の管掌領域のあるべき姿を描き、そこへ向かって動く必要があります」
このとき、現場の課題を起点に施策を考えると、抜本的な変革にはつながりづらい。石井氏はその理由を、縦に事業インパクト、横に過去・現在・未来を置いた図を示しながら解説した。
よくあるのが、図の左側にある「発生型の課題」に目がいくパターンだ。つまり、目の前の非効率なタスクを片づけようとする。しかし、組織が実現したいのはAIを中心に業務を組み直すことであり、そのためにはまだ存在していない課題を設定する発想力が求められる。組織長が未来から逆算して、「設定型の課題」を定義するところから始めなければならない。
「現場はPL(損益)の責任を負っていないため、事業利益への影響まで見据えてAI活用を考えることが難しいのです。現場の課題は解決できても、全体で見ればトークンコストがかさむだけという結果になるでしょう」
もっとも、組織長に委ねたからといってすぐに組織が動くわけではないだろう。そのため同社は、隔週で「事業推進会議」を設け、冒頭で各組織のAX推進状況の報告をすることとした。経営と各組織が足並みをそろえながら施策を進めていく体制だ。こうした取り組みによって、特にバックオフィスで急速にAI実装が進んでいる。
バックオフィスは売上に直接紐づく領域ではない分、コスト削減の効果が見えやすい。一方で、扱うデータの機密性は高く、金融商品取引法や内部統制といった規制がある点で、事業部のAXとは異なる難しさがある。そんな中でも、執行役員と各マネージャーが慎重に手を入れた結果、大きな成果が得られているという。
たとえば、IRの決算説明資料の品質チェックは、かつては2名がそれぞれ4時間、合計8時間をかけて80ページもの資料をすべて確認する必要があった。原典と数字が合っているか、表現に矛盾はないか、説明に抜け漏れはないかなど、確認作業には高い注意力を要する。それが現在は、1人の人間とClaudeが約30分で確認できるようになっている。原典との照合、差異の抽出、確認すべき箇所の洗い出しといった一次チェックをAIが担い、この表現で投資家に伝わるか、この情報を載せて良いか、説明として適切かという判断は人が下す。AIがタスクを分解して役割を組み直し、人が時間を注ぐ先そのものを変えた事例である。
このような実践から得たノウハウを企業のAIネイティブ化支援に活用できる点が、グッドパッチの強みの一つだ。AI駆動開発の導入、AI推進チームへの伴走やアドバイザリー、活用のための研修プログラムなど、支援の幅は広い。業務課題を掘り起こし、人とAIが協働できる環境を一緒に作り上げていくという。これから組織や業務のAXに挑む企業、そして取り組んでいるものの手応えを掴めないままでいる企業に向けて、石井氏は最後にこうメッセージを送った。
「全てをAIに任せるのではなく、正しい期待値を持って人とAIの役割を分けることが重要です。対話や組織の相互作用、意思決定には人間の介在が不可欠。AIにはできない複雑な判断が求められる領域にこそ、人間のリソースをうまく活用してAIと付き合っていきましょう」

